ケンスケがシンジを「墓参り」に連れて行った理由

シンジは第3村で成長することを作劇上求められていました。

第3村で先生から学ぶべき何かの一つは、

メメントモリ(死を忘る勿れ)」
ということではないでしょうか。

シンジはケンスケのお父さんのお墓参りに連れて行かれました。
そこでケンスケから、ケンスケのお父さんはニアサーを生き延びだ後に事故で亡くなったと聞かされます。
ニアサーに関係ない事故死。
あってもなくてもよさそうな、観客から真っ先に忘れ去られそうなシーンです。
ただ、妙に引っかかるシーンでもあります。
おそらく、これはシンジが先生から学ぶべき大前提だったんじゃないでしょうか。

「人はいつか死ぬ。
思いもよらない理由であっけなく死ぬこともある。」

そういえば、トウジもケンスケと同じく、第3村で「先生」と呼ばれていましたよね。
もう一人の「先生」であるトウジから、
自分が医師免許をもたないこと、そんな自分がどんな思いで医療を行なっているかを聞きます。
自分と周りの人が生きるために「お天道様に顔向けできない」ことをやったという罪の告白も。
ひたすらに実直で正義感の強い少年時代のトウジをシンジは知っています。
この告白を受けたシンジの衝撃はいかほどのものだったでしょう。

「人はいつか死ぬ。
思いもよらない理由であっけなく死ぬこともある。」
「やるだけやっても死ぬこともある。
でも虚無的に生きるわけにはいかない。」
「一つの命を守るために、信念を曲げてでも、資格がなくても、命がけでやるべきことをやっている人がいる。」

その後、第3村で難産の末に赤ちゃんが生まれるシーンがありました。
シンジにとってもはや第3村の生活の全てが「先生」です。

「人はいつか死ぬ。
思いもよらない理由であっけなく死ぬこともある。」
「やるだけやっても死ぬこともある。
でも虚無的に生きるわけにはいかない。」
「一つの命は誰かの『命がけ』のおかげで生まれている。」
「自分がいま生きていることは全然当たり前じゃない。」
「死を忘る勿れ」

メメントモリ」を学んだシンジにとっては、その後の生活一つ一つが成長の糧だったはずです。
ごはんを食べても作っても、共同浴場に行っても釣りをしても、第3村の何から何までがシンジを劇的に成長させたはずです。

その成果が、ヴンダーに乗ることを決めたシンジの、エヴァに乗ることを決めたシンジの、あの安定感・風格に繋がったのだと思います。

「誰かに強制されて乗るわけじゃない。
自分の命を軽く扱っているわけでもない。
第3村の人と同じく自分がやるべきことをやる。
できるかどうか、資格があるかは関係ない。
やるべきことをやる。」

Aパートヤバいですね。
これだけのことを学んだシンジが「先生のところにいた」生活を

「何もなかった」

なんて言えるはずがありません。
TV版第1話でも序の冒頭とは別人です。